『渡来バード、ドライバー』ができるまで
- nitta31
- 4月28日
- 読了時間: 9分
更新日:9月6日
写真・文=平野太呂
縄文時代の巨木群~琴ヶ浜の鳴り砂
志人を乗せた飛行機を皆で待っている間に、さっきまで見えていた宍道湖の向こうの山々がどんどん雲に浸食されて見えなくなってしまった。到着した志人と共に大きなワンボックスカーに乗り込む頃には雨が降り出す。
「僕、雨男なんだよね」と横で大口俊輔が言う。
出雲そばをささっと食べて、西へ向かう。右手にチラチラと日本海を覗みながらも、調査隊を乗せた車は谷間を進み、山を登っていく。目的地は島根県大田市にある三瓶小豆原埋没林公園。地下シェルターのような施設の中に展示されているのは縄文時代の巨木群。三瓶山の火山の噴火によって降った火山灰と流れてきた土石流で埋もれた地中古代の森。その一部の地中を大きな円柱で囲い、埋もれている巨木群はそのままにして、火山灰と土を掘り出している。なんとも豪快な展示方法である。ドアを開け、地中へと階段を降りていく。約4000年空気に触れていなかったために保存状態の良い巨大な杉の木がそびえ立ち、転がっている。水に触れている木は保存状態が良いのだという。
普段、京都の山で林業を営んでいる志人が学芸員の大野さんが繰り出すクイズにバシバシ答えている。大野さんもとても嬉しそう。次第にヒートアップする大野さん。しまいには巨木の話から地域の民話、お祭り、地域の歴史の話がどんどん広がっていく。この土地とその成り立ちにとても愛情を感じているのが分かってとても微笑ましい。
外に出て地面に立つと想像力の矢印が地中に向かっていることがわかる。足元の地面の下にも巨木群が埋まっていて、息を潜めて静かに立ち尽くしているかも知れない。お前が見ていることなんてほんの一部なんだよと、地中から低い声で言われているような気がして少し怖くなる。でもそれが自然への畏怖であり、見えないものへの想像力を刺激する。そこから神話や民話も生まれてきたんだろうなと思う。
三瓶山の山麓から山の谷間を海へと向かう。おそらくここも土石流が流れたルート。土石流に乗って海へと向かう。土石流が到着した琴ヶ浜の砂は不思議な声で鳴くという。
夕暮れ、琴ヶ浜に到着した調査隊は浜を管理する地元の方から鳴砂の由来や構造の話を聞く。そして今日は気象条件が揃わずあまり鳴かないので、鳴かせ方のコツを教えてもらった。膝を曲げて素早く膝から下を前に出し、少し前のめりに足で砂をこする。何度かやっているうちに力加減が分かってきて砂がきゅっと鳴く。なんとか鳴かせたいと、皆で砂浜を妙な歩き方で闊歩する様は何か新しい伝統芸能のようで可笑しくもあり、ヒントを貰えたような気もするのである。見たり聞いたりすることにプラスして身体的な動き試せたことで心も身体も軽くなる。きっと何千年前も同じであっただろう日本海に沈む夕陽を眺めて1日目は終了した。


石州和紙
ドライバーさんの運転する大きなバンに乗った調査隊は江津市桜江町へと向かう。バンは海から江の川沿いに山を登っていく。さらに山の中に入っていくと石州勝地半紙「風の工房」がある。天気は相変わらず雨である。出迎えてくれた和紙作家の佐々木誠さんの作品を楽しみつつ、一年に一度、ちょうどこの頃に行われる「そどり」という作業に立ち会うことができた。
和紙の原料は「楮(こうぞ)」という植物である。この楮を収穫し蒸して剥ぎ取った植皮を叩いてほぐし、トロロアオイを混ぜ合わせ漉き舟で薄く掬い、乾燥させる。原料である楮を一気に蒸す作業で使われるのが「甑(こしき)」と呼ばれる言ってみれば大きな蒸し器である。工房の外に建てられた古屋の中には大きな薪かまどがあり、大鍋にはすでにお湯がぐつぐつと沸騰している。そこに軽トラックで持ち込まれた楮を結んで立てて、大きな甑をかぶしてしまう。見たこともないような大きなかまどに、吊り下げられた見たこともないような大きな樽。どこか大きな教会の鐘楼にいるようだけど、ここの鐘は木製だ。甑をすっぽりかぶされた楮が蒸されていく。蒸気が逃げないように甑と釜の間には藁の大蛇がパッキンの代わりにトグロを巻いている。そう、まさにこれがトグロなんだ。大蛇の隙間を縫って、真っ白な蒸気が音を立てながら逃げていく。まるで大蛇が怒っているようだ。
さあ蒸しあがりましたよと、天井から吊るされた甑がロープで一気に引き上げられる。小屋が蒸気で一杯になる。寒い12月の作業だから蒸気がよく見える。私たちの凍えた身体も一気に蒸される。気持ちがいい。蒸した後はのんびりせず、楮から浮いた皮を剥ぎ取る作業である。皮を剥がれて真っ白で綺麗になった楮が積み上がっていく。皮を剥がれた楮は乾燥させて鎌の中で燃料となる。いい感じの棒が落ちていたら拾って振り回すのが少年というもの。大口俊輔が楮を振り回し始める。良い音がする。一本一本の形や細さが違うから風を切る音が違う。「これもらってもいいですか?」と大口が白くなった楮を束にした。
「神様みたいな楮があるので見に行きませんか?」と、さらに車は山の奥へ。江の川の支流だろうか、山間の谷近くに大きな楮の株があった。「立派な楮でしょう?」楮を初めて見た僕にはこれがどれだけ立派なのか分からないが、苔を蓄えた株に迫力を感じる。さらに標高が上がったのだろうか、雨がいつの間にか雪に変わり、本降りとなっていた。



大元神楽
ドライバーさんが運転するバスは一路、大元神楽伝承館へ向かう。ちょっとその前に「たぬきの国」へ。何千匹の昭和から現在までのたぬきに囲まれ見守られ、想像以上の大盛りちゃんぽんを食べる。大盛りの加減にあくせくする私たちを横目にドライバーさんだけが適量な定食を頼み、職務を全うしているように見える。大元神楽伝承館へ到着すると市山神友会会長の竹内修二さんが迎えてくれた。伝承館は八幡宮社殿の隣にある廃校を利用した施設だ。大元神楽の歴史や意味を説明する竹内さんの穏やかな語り口調の中に神楽に対する情熱を垣間見る。
大元神楽は6年に一度、土地の神様に感謝し、豊作を祈り、踊りや音楽を神に奉納する伝統芸能である。夕方の神迎えから、翌日の朝の神送りまで夜を徹して行われる。今年の神楽では「神懸かり」が起こらなかった事を非常に残念そうにしていた。だけど毎回予定通りに神懸かりが起きるわけではないということは、大元神楽が見せ物などではなく、純粋な神事として現在にも継承されていることを証明している。
先月行われた大元神楽の衣装を体育館で干しているというので拝見させてもらう。代々伝わってきた衣装なので、もっと厳かな雰囲気のものと思っていたが、ド派手な衣装なのである。志人と千鶴が袖を通させてもう。二人とも似合ってしまうから不思議だ。
実際に神楽が行われる八幡宮社殿まで散歩する。石州勝地半紙にもいた藁蛇がここにもいた。社殿の裏山に鎮座する神木に巻かれた藁蛇。神様と共にやってきて還っていく藁蛇である。6年後に行われる次の神楽まで、島根の自然にさらされ、朽ちて無くなっていく。迫力と美しさと侘しさが混ざったような景色だった。社殿の周りで散り散りになりながら、思い思いに何かを吸収している調査員たち。集団を離れ、ひとり参道を行ったり来たりしている志人が遠くに見えた。




金城民俗資料館
朝、浜田駅前のホテルで目を覚ます。集合時間にロビーに集合すると、朝の散歩から帰ってきた志人がこのホテルの名前が「ルートイン」だった事を皆に嬉しそうに話している。彼の頭の中を巡っていた甲賀三郎伝説(根の国に迷い込み、蛇体となって帰ってくる)と「ルートイン(地中の根)」とがシンクロしていたらしく、この旅がうまくまわりはじめているようなグルーヴ感が出てきたのだろうか。とにかく、色んなことに引っかかって、言葉で遊んで、深めてしまう彼の力はすごい。
調査員を乗せたバンは金城民俗資料館へ。外は小雪、中は柱の芯まで冷えている。石見地域の人たちがどう暮らしてきたのか、生活用具を約3,500点展示してある。そのままにしていたら捨てられたり朽ちてしまっただろう民具がしっかりと残されている。これほどの物を集め、保存する隅田正三さんをはじめ、保存会の方々の情熱に頭がさがる。
民俗資料館の向かいにある建物では、この地域で採れる鉄を使った「たたら製鉄法」についての資料館もある。波佐地方では古来、山地の土壌に鉄が豊富に含まれていたために鉄が採れたのだ。展示物で実際に触ることができる石には鉄分が多く含まれているため、指で叩くと高音が響く。早速、大口が叩いてみて録音している。まだこの辺りの山に鉄が多く含まれているという話を聞いて、山に連れていってもらうことにした。車で少し走ってトンネルを抜けて、なんの変哲もない道路脇に車を停めて山へ入る。おもむろに木の根元を掘る隅田さん。少し土がキラキラしているように見える。こんなに簡単に鉄が埋まってるなんて。中山が持参していたジップロックをサッと広げ、土を採集していた。こうして、皆、何かしらのヒントを材料を思考を想像を溜めていく。
資料館には能海寛という宗教家の軌跡も展示していた。能海は浜田市の生まれで、チベット教典を求めて日本人で初めてチベットまで冒険し到達した明治の偉人である。しかし音信不通となり、能海は日本に帰ってくることはなかったという。類稀なる冒険心と昔の日本人とは思えないエキゾチックな顔立ち。彼も「根の国」に行ってしまったのだろうか?

グラントワ~蟠竜湖
一行はようやくグラントワに到着。会場となる水面を皆でチェックする。だんだんと日が暮れていくグラントワ。水面にライトが反射する。声の響き、水深、歩く音、地面の感覚。会場に到着するなり皆が表現者の顔になっていることに気がつく。千鶴と志人が即興で声を合わせる。いろいろな場所に立ちながら、繰り返し、繰り返し。通りかかった女子高生が笑いながら真似して呼応している。やまびこみたいで面白い。
翌日の午前中、うつわの店げんだ屋さんへ。民話やわらべうたの研究家である酒井董美さんとお会いする。酒井さんのかつての教え子でもある石川さんに石見らしさが表れている民話を四編読んでもらった。皆、子どものような顔をして話を聞いている。絵のない童話の読み聞かせ。それぞれの頭の中にどんな絵が浮かんでいるんだろうか。話を聞きながらも中山と志人の手が動いているので覗いてみると、僕には理解不能なスケッチや縦書きのメモが残されていた。
旅の終わりに、蟠竜湖に立ち寄る。切れ込んだワンドがいくつも連なり、龍の足跡に水が溜まったようにも見える。海の近くに位置しながらも淡水を湛える蟠竜湖の水は一体どこから滲み出た水なんだろうか。
水、木、砂、蛇、神、地中、生活、過去、現在。普段なら味わえない島根にたくさん触れさせてもらった。グラントワの水面で四人が繰り出す演目が一体どんなことになるのか僕には全くわからない。きっと本人たちにも分からない。この旅で出会ったこと、考えたこと、空想したことがぶつかり合い、消えては表れ、何かに転化して僕たちの目の前に現れるのだろう。その時をじっと待とうと思う。
蟠竜湖のワンドの向こうの森に一本だけ背の高い立ち枯れた木があった。僕が鳥だったら、あの木に止まって湖を見渡す、絶対そうする。そう思ってカメラを向け、皆でしばらく待ってみた。程なく一羽の大きな鳥が飛んできて木に止まった。島根の旅で鍛えた私たちの神通力にたまらず鳥も止まるしかなかったのだろう。



▶パンフレット『渡来バード、ドライバー』ができるまで(PDF)



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