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『渡来バード、ドライバー』公演レポート

更新日:9月20日

文=山若マサヤ/写真=なかにしみづほ


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 2025年4月27日、肌寒さの残る石見の夕方、グラントワの中庭に集まった人びとは、昼と夜の境を見定めようと空を見上げていた。


「渡来バード、ドライバー」がこの日の公演のタイトルだった。4名の表現者、大口俊輔(音楽家)、福原千鶴(小鼓奏者)、志人(語部)、中山晃子(画家)が、島根県西部の石見地域に滞在してリサーチを行う。その成果をパフォーマンスの形にして披露するというもので、グラントワの開館20周年記念として企画された。4名は約4ヶ月をかけてインターネット上でコミュニケーションを重ね(それぞれ国内外を飛び回り活動をしている)、作品の構想を練りあげた。その成果がこの夜、披露される。公演は一度限り。台本、楽曲、舞台や音響設備を含め、すべてがこの一夜のためだけに制作された。


 そういうわけで、公演当日のグラントワには独特の緊張感が漂っていた。会場には各地から集まった関係者が忙しなく出入りしていた。前日にリハーサルを終えた4名のアーティスト、グラントワの制作者や舞台芸術の専門スタッフ、その他技術面のサポートで集まったクルー、メディアやアート関係者。やがてもろもろの準備が整った午後には開場を待つ人びとが長い列をつくり、祝祭的なムードが高まっていった。


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 グラントワの正式名称は「島根県芸術文化センター」という。約28万枚の赤い石州瓦に覆われた、美術館と劇場が一体になった巨大建造物は、建築家・内藤廣の代表作として知られている。その空間的シンボルである水盤をたたえた中庭が本公演の会場となる。普段は子どもたちが素足で駆けたり、地元の人たちが弁当を食べたりしている中庭に、この日は横10メートル×縦5メートルのスクリーンが設置された。水面にスクリーンの鏡像が映ることで、中庭の中央に10メートル四方の正方形が浮き上がっていた。


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 用意された客席は開場とともに埋まり、ついで立ち見の人たちが中庭を満たした。やがて陽が傾きオレンジの夕景がブルーグレーの薄明へ移るにつれ、石州瓦がその色を複雑に変化させていった。グラントワの壁面を覆う石州瓦には不思議な特性があって、天候によってガラス質の表面の色を変える。青空の下では青みがかり、光の角度によって金や緑の混じった独特な色合いを見せるのだ。


 開演タイミングが具体的な時刻ではなく、「日没後」という曖昧な設定にされたことで、人びとは光の移ろいを眺めながら時の経過そのものを鑑賞しているようだった。思えば、時計の数字から太陽が巡らせる時へと意識をシフトする夕方のひとときから、この日の幻想的なトリップはすでに始まっていたのだ。


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 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。静けさと薄闇の中から現れた志人の手には剣のようなものが握られていた。それを打ち下ろした時、大口が音を鳴らし、中山がスクリーンいっぱいに赤いしぶきを映し出した。志人が韻文を語り、福原が声を重ね、鼓の一閃。見たことのない、何か重要なことがこれから行われようとしている。そんな空気が一瞬で場を包んだ。夜が始まったのだ。


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 パフォーマンスは旅の物語になっていた。ドライバーが運転するタクシーに「石を運びたい」とひとりの女の子が乗り込んでくる。わけもわからないままタクシーを走らせるドライバー。石を運ぶ道中で、ふたりはさまざまな出来事を体験する。「石博士」に出会ったり、「巨石信仰」の男と「水信仰」の女の対立に巻き込まれたりしながら、物語は進んでいく。やがてふたりを乗せたタクシーは深い穴へ落ち「根の国」へ漂着するのだが……。そんな不思議な旅の道行に、音と言葉と映像が重層的に織り重ねられていく。


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 大口俊輔はシンセサイザーやアコーディオンなどを駆使し、石見で採録した音も組み合わせ音楽的な指揮をとった。ビジュアル面を担う中山晃子は「Alive Painting」という独自の手法で、石見の砂や鉱物を使い流動・躍動するイメージをライブ生成し、スクリーン(とそれを反射する水面)に映した。福原千鶴は小鼓などの和楽器と声により時に音楽的に、また時に演劇的に、作品に幻想性を与えた。志人は狂言回しの役目も担いながら、ラップともスポークンワーズともつかない、あるいは祝詞や音頭のようでもある語りに、石見の要素を織り込んでいった。


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「渡来バード、ドライバー」という不思議な(それでいて和歌のような頭韻の心地いい)タイトルのこのパフォーマンスは、実際に4人が行った、石見を巡る旅の経験をもとに構想された。旅が行われたのは2024年12月。全員が一台のタクシーに乗り込んで、朴訥で誠実なドライバーに連れられ、石見の自然や歴史、人や風土を訪ねた。三瓶小豆原埋没林、琴が浜の鳴り砂、石州和紙の工房、大元神楽、石見の民話、佐毘売山神社、蟠竜湖……道中では他にも多くの出会いと発見があったという(旅の模様は同行した写真家・平野太呂氏のレポートに詳しいので、そちらを参照されたい)。


 旅の成果はパフォーマンスの中に縦横自在に配置された。その一部を紹介すると、例えば志人が振り下ろした剣は石州和紙の原料である楮(こうぞ)の木。大口は、琴が浜の砂を楽器として鳴らし、たたら製鉄の鉄の響きなど石見のサウンドを効果的に取り込んだ。中山が投射した宇宙や自然のゆらぎを思わせる極彩色のビジュアルには、石見の砂から取り出した砂鉄や、採取した鉱物が使われ、水に強い石州和紙も有用な素材になった。それらを映す横長のスクリーンが水面に反射し正方形が浮かび上がるという設計は大元神楽の正方形の舞台の再現だった(水上へのスクリーンの設置はグラントワの技術スタッフにとっても挑戦的な決断だった)。石見地域に伝わる巨石信仰が物語の中盤に印象的に組み込まれ、後半で切り株の穴から「根の国」(古事記にも登場する地下の世界)へ落ちるシーンは、縄文と現代をつなぐ三瓶の埋没林をイメージさせる。そして物語の軸に据えられたのは「乙子挟姫(オトゴサヒメ)」という石見に伝わる伝説で、こういう話だ。


 昔、朝鮮半島から一羽の赤い雁が日本へ飛んできた。その背には狭姫(サヒメ)という小さな女性の神が乗っていた。狭姫の母は大宜都姫命(オオゲツヒメ)という身体から食物を生み出す女神で、古事記ではスサノオによって切り殺されてしまう。そのオオゲツヒメが死に際に穀物の種を形見として娘のサヒメへ託すのが、石見の乙子挟姫伝説のはじまり。サヒメは形見の種を手に赤雁に乗って旅に出る。はじめ見つけた小さな島へ降り立とうとするが断られたため、「比礼振山(ヒレフリヤマ)」に降り立ち、その地の人びとに種を分け与えた。そこから石見の繁栄が始まったのだというのが、伝説の概要だ。


 サヒメが降り立った「比礼振山」は今も益田市内の「乙子町」にあり、その山頂には「佐毘賣山(サヒメヤマ)神社」が鎮座している。また、その近くには「種」と「赤雁」という名前の地区もある。4人は、古代の神話と接続された石見の地をタクシーで巡りながら、海を渡る赤い雁(渡来バード)に乗った姫が、タクシーに連れられ(ドライバー)時空を旅する物語を構想していった。


 パフォーマンスの後半、物語がクライマックスに差し掛かるあたりで、ドライバーと女の子は、地下の根の国を冒険する。そこで明らかになるのは、女の子が運んでいた石の正体が、種だったということ。種は地下で芽を出し大きな樹となってふたりを抱えたまま上空へ伸びていく。そして地上に実りがもたらされ、赤雁が飛びたつ。この時、赤雁から「神を殺したのは人ではないか」という強い問いかけがなされる。赤雁の言う「神」とは、日本的なアニミズムの神、つまり畏怖や信仰の対象としての自然と考えられるだろう。その神を殺したのは科学への盲信ではないのかと、赤雁は言う。人は科学によって、神なる自然を管理下に置き、今度は自らが神のように振る舞おうとしてはいないか。それは、自らの想像の力を殺すことではないだろうかと、強いメッセージが観客へ投げかけられる。


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 科学で自然を征服することで人類が高度に物質化された都市生活を作り上げたことは確かだ。しかし、その物質的な達成の背後に別の喪失があることもまだ確かな事実だろう。山や海を征してフィールドを拡張しながら、私たちは想像力のフィールドを狭めてきたとは考えられないだろうか。赤雁の言葉には、科学の強さと、強さゆえの恐ろしさを思わずにはいられない(そして人為的な自然の制御という点では、たたら製鉄が思い浮かぶ。自然の山を崩し鉄を取り出すことで商業的に繁栄してきた私たちの歴史は、スサノオが食物の母であるオオゲツヒメを殺した古事記のシーンとメタフォリカルに韻を踏んでいる)。


 科学技術の恩恵を受け取りながら、それでは科学が与えてこなかったものは何なのだろうかと問い直す時代に、私たちは生きている。世界人口の過半数が都市に暮らしインターネットが世界を網羅する現代では、ともすれば物質化された均質な都市生活が人のスタンダードな暮らしに思えてくる。でも実際は逆で、グローバルな均質化よりも、土地ごとの自然に根差す土着の暮らしのパッチワークこそが人類の普遍であるはずだ。私たちが忘れかけた土着の力、神とつながる細い水路を、4名のアーティストの目は、石見の旅を通して発見したのではないだろうか。


 石見に伝わる大元神楽は「神がかり」が起こることで知られている。ところが近年その「神がかり」が起こらない年が増えているのだという話を、4人は旅の途中で聞いた。赤雁が問いかける神殺しの罪は、大元神楽の神の不在という現在と呼応している。


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 人類が言葉を覚える前は、歌によって音楽的にコミュニケーションを取っていたといわれる。私たちは何万年も、火を焚いて歌と踊りで交歓してきた。やがて歌と言葉が分かれ物語が語られるようになった。闇にゆらぐ炎を囲みながら、語り部は先祖や土地の声を、あるいは神の言葉を、私たちの言葉へと翻訳して幻想的に語り聞かせた。夜の物語によって、自分たちが生きてこなかった古い時間と大きな感覚へと、人は接続された。昼の理性が眠る夜を通過して、私たちは神話の世界へ旅をすることができたのだ。


 科学が闇を追い払う前は、夜は、現実とイマジネーションが出会う特別な場所だっただろう。2025年の夜の石見で4人が行ったのは、つまりそういうマジカルな夜の神話の召喚だった。水盤に映る異界が水上の現実世界と接するようにして、昼の現実と夜の幻想をつないだのだ。


 神話が説得力を持つのは、語られる言葉が、他ならぬ自分たちの土地の話だという具体性からだろう。奏でられる音が、語られる言葉が、映されるビジョンが、石見の実際的なマテリアルだというリアリティ。物語で歩かれる土が、今朝がた踏み締めた土であり、父母が耕した土であり、祖先が眠る土であること。その土を焼いた赤い石州瓦の屋根の下で、今も石見の暮らしがあること。そのソリッドな実感が、土地の神話と現在の生活感覚を地続きにつなげるのだ。


 「はじめてきいた、きょうきいた」という、石見のわらべ唄のフレーズが印象的にリフレインされ物語は幕を閉じた。一時間ほどの公演はあっという間で、誰かが「ちょっと様子を見にきたつもりが、最後まで見入ってしまった」と言っていた。


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夜にしか語られない言葉がある。夢の中でしか見えない色がある。理屈ではなく感覚で触れないと、わからないものがある。昼の理性に隠されていた土地の記憶を、「渡来バード、ドライバー」は石見の風景から引っ張り出した。


 帰りぎわ、観客席にいた年配の男性が「懐かしい歌だったね」と言った。小さい頃に聞いた民話を思い出したのだろうか。あるいはその懐かしさは、もっとずっと古い、夜の記憶だろうか。

 
 
 

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